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巻頭:弁当の思い出(CHA20号より)

2013年04月11日

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巻頭:弁当の想い出    (大森正司)

昭和30年頃の小学校の冬、コークスを燃料とした「ダルマストーブ」が教室には置いてあり、その周りには棚が作ってあって、小学生たちはこの棚に弁当を置く。冷たくなった弁当をここに置くと、昼には弁当もホカホカ、温かい弁当が食べられる、ということで、大変楽しみな光景でした。しかし、弁当のおかずにはすごく差があり、弁当を食べるとき、 蓋を全開して食べる子どももいれば、半開きにして周りには見えないようにして食べている子どももおりました。
小学校の頃、特に4年生ともなると、多少、周りの意識も判断できるようになり、弁当一つ取り上げてみても、その食べ方に違いが認められました。
小生も母親の作ってくれた、アルミ製の弁当箱を持って学校に行き、ダルマストー ブで暖めては食べていました。しかし、私の母親は、私がたくあん好きなのを知っている関係から、私の弁当には必ず沢山のたくあんが入っていました。これを暖めると、たくあんの臭いは周り一面にたちこめ、すると、くすくすと笑い声が聞こえてくるのには、なんとも恥ずかしい感じをしておりました。そして、いざ食べ始まると、たくあんをかむ音がぼりぼり・・・と、自宅では何の意識なくぼりぼりと食べていたものでしが、学校ではちょっと気が引け、その噛み方も少しずつ、少しずつ、ぼり・・・・ぼり・・・と食べました。
しかし、その音を目ざとく見つけた(聞きつけた)、僕のまえの席の女の子が、わざわざ振り返って、「うふふ・・・!」とふくみ笑い。多感な年頃の小生は思わず顔を真つ赤に噛むことをやめ、食べることをやめてしまいました。
たくあんだけを残した弁当、家に帰つてから母親に文句を、・・・という前に、たくあんに大変申し訳なく思い、母親に見せる前に、一人で、思いっきり、バリバリと食べたものでした。
戦後動乱期のこの時代、こんな弁当を持っていった筆者は、小学校6年で学校給食が始まったときには、大変嬉しく感じたのを、いまでも強烈に記憶しています。そして、脱脂粉乳のミルクがまずい、パンがまずい、・・・との話も耳にしましたが、小生はどれをとっても満足、美味しく感じ入っておりました。こんな時代を経由しての今、学校給食も格段に豐かになり、メニュー、食材も一定とは言いながら、改善されました。昨今、本来の学校給食の時代はもう終わった、こんなことも囁かれるようになりました。しかし、どんな時代になっても、学校給食を通してみんなで食べる、同席同食の意味、弁当の暖かさと共に、それそれバランスよく利用されることが大切と思われます。

 

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